先日まで流行っていたSNSの投稿で「自分が影響を受けたアルバム10選」というのがあり、そこら中で目にしたんだけどそこで偶然見?えのあるアルバムを見かけた。
あれ?見たことある、もしかしたら?加したかも?いや、したはず、そうだ絶?した、と記憶がどんどん時間を遡って行く不思議な感?。というのは、それが音?で仕事を始めた自分のちょうど多感?な時期のことだったからかもしれない。
自分が大?4~5年(20~21?)、初のメジャ?ア?ティストのバッキングとして仕事についたのが山本達彦(Tatsuhiko Yamamoto)さん。シティポップの貴公子と言われ、音?性も高くオシャレなサウンドと端正なルックスでブレイクはじめた頃。彼のツア?にも?加するようになりしばらくして、達彦さんがロック寄りに音?性を?換することになり、そのプロデュ?サ?として現れたのが相澤行夫さん(Yukio Aizawa Gt&Voc)木原敏夫(Toshio Kihara Gt&Voc)の2人からなるNO BODYだった。NO BODYは演奏と歌はもちろん、他ア?ティストの作曲、プロデュ?ス、そしてCF?曲まで幅?く手掛ける2人組ユニット。今となっては珍しくないユニット形式、?時はまだ斬新だった。彼らは1974年から矢?永吉さんのツア?サポ?ト、アルバムも手掛けられており、僕が出?った?時は矢?さんの元を離れユニットデビュ?直後だったと記憶している。ちなみに相澤さんの??は著名作詞家の??知子さん、お二人は業界で有名なおしどり夫婦。提供?曲ア?ティストはアンルイス、荻野目洋子、吉川晃司、相川七?、はじめ多?、それ以外CFもたくさん手掛ける、?時新しい形のア?ティスト&プロデュ?スユニットだった。
山本達彦さんに?してはまたいつか書きたいと思うけど、今日はNO BODYのお話。元?オシャレで素敵な達彦さんの音?が、NO BODYプロデュ?スの影響で良い?梅でロック色に染まり始め、達彦さんのアルバムもNO BODYと一?にレコ?ディング。その後映?「凶?」の主題歌を達彦さんが歌う際もNO BODYプロデュ?スでレコ?ディングにも?わらしてもらうウチ、NO BODY自身がライブをやることになり、キ?ボ?ドやらないかとお?がかかり、そこからグイグイと彼らの世界に引き?まれていった。
さて僕がNO BODYと?わったオリジナルアルバム&シングルは
★Pop Gear これは?加したか記憶が確かではない。でもこの時期の?曲をたくさんライブ演奏したし、?音した?もするんだけど???殆どの曲はライブでやったな。
しかしアルバムに?加ミュ?ジシャンクレジット無い。ひどいな、、、 ^^;
★LIVEワン@日本?年館1983年12月22日 SNSに?載されていたアルバムジャケット!
このライブは1983年12月23日、自分が大?6年の時の卒業試?直前!>>無謀もいいところ、、、汗。でもめっちゃ?しかった!ここに??されているWelcome to my party, Marilyn などは達彦さんのライブでもたくさん演奏したのと、そう言えばちょうどこの1年ほど前、同じ日本?年館で山本達彦さんライブレコ?ディングがあった記憶が。
★Got a Feeling(1984年)
このアルバムは今はなき六本木Sedic Studio(?かしい!)で、ドラム渡嘉敷祐二(Yuji Togashiki)さん、ベ?ス松田亮(Ryou Matuda)さん、キ?ボ?ド;自分と言うメンバ?でレコ?ディングしたのを?えている。一曲目のGot a Feelingは?音時からめっちゃかっこよくエキサイトした!その他の曲はちょっと記憶おぼろげ。もしかしたら1曲だけだったかも。
★I’m Nobody(シングル)
このシングルはMC4とLinn Drum ドラムマシ?ンを同期させた上で、生演奏はNOBODYと僕のみのトラック、哀愁漂う曲調が自分に完全ストライクだった。あんなにポップな曲も書くのに、こんなタイプの曲も書くのか!と驚いた記憶がある。余談だけど、この筋骨隆?背中のシングルジャケットの撮影の件。「梁くん、?格良さそうだから背中のモデルやってみる?」と半分からかわれ、?座に?退したのも?えている。まだ初な自分は結構焦った^^;
その頃ライブを積極的にはじめたと同時に彼らはプロデュ?スチ?ムでもあったことから、彼らのプロデュ?ス作品:CFや他のア?ティストのレコ?ディングにもお?掛けいただいた。ライブはもちろん素晴らしかったけど、レコ?ディングにおいても?特なアプロ?チだった。ソウルフルな部分とテクノロジ?を共存させて作り?んでいく姿勢とそのノウハウをたくさん?ばせていただき、まだ?生だった若い頃にたくさんの??をさせていただいたき、新鮮だった。
彼ら二人の歌とギタ?がむっちゃかっこよく「しびれた」、邦人離れしていると言うか。?時マ?ジ?ビ?トメドレ?という曲をライブでよく演奏したけれど、やはりリバプ?ル&ブリティッシュな影響が色濃いポップセンスが光っていた。僕はその後しばらくして浜田省吾(Shogo Hamada)さんの音?に?加する事になるけど、その前のロック???としてとても貴重な??だったし、NO BODY??があったことで浜田さんの音?にもすんなり入っていけたのかもしれないと思う。浜田さんとのお話もいつか書きたいな。
NO BODY、ライブ活動は?時まだスタ?トだったのでライブハウス:新宿Ruidoあたりから始まったけど、僕の在籍末期には日本?年館でライブレコ?ディングするまでに成長&ブレイクしていった。そう言えばNHK-FMでもライブ&ト?ク出演した。(山本さんでもNHK-FM出演したの記憶している^^)そんな彼らと一?にいるといつも?しかった。ルックスは怖めだけど?は全然怖くなく、めっちゃ優しい。打ち上げで若い僕たちへ課する苦行は「おにぎりの一?食い」、優しい口調で「じゃㅁ、行ってみようか~」と?る。腹がはちきれそうになったのを?えているけど、それも又?しい思い出。
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前述したライブ盤改めて?いてみた。?き直すのは35年ぶりくらいだろうか。レコ?ドのB面1曲目 Too Far Away 前のMCで「今は目の前にいなくても今まで一?に音?をやってきた??な音?仲間に捧げる」というMCにジンと?た。今自分もNO BODYのお二人に同じ思いがする。自分がこうして音?やっていられる明らかな影響を受けた方たち。
忘れられない逸話が一つ。??5年生末、親父と「何があっても大?は卒業する」と交わした約束で一度音?を?念した。?時?加していた山本達彦さんツア?も?退し、音?界から全面的に距離をおいていたそんな6年生後半のある日、相澤行夫さんから電話があった。「梁くん、どうしてんの?」「本?は?れて音?やってんじゃないの?」「音??る決心ついた?」といつもの調子^^; 話を聞くと近?に自治?大の?園祭があり、いつもやっているキ?ボ?ドがNGらしく、要するにトラをやってくれないかという話。「う~~ん」と考え?んでいると「音??しいよ、本?はやりたいんでしょ?」と?魔の?き&本?はそのとおりで?いご指摘。結果自治?大に行くことになり、その年末卒業試?直前のNO BODYライブレコ?ディングにも?加した。今思い起こしてみると、それはとても貴重で愛しい時間だった。そしてToo Far Away MCの意味が今になって、沁みてくるのです。
NO BODY,今どうしているんだろう、あまり情報がなくて、、、もしご存じの方いたら?えて下さい、是非またお?いしたい。
相澤さん、木原さん、どうもありがとうございました。
そしてこんな思い出と記憶が一つのSNSに?載されたアルバムジャケットから紡ぎ出されたことに感謝です、どうもありがとう。
梁邦彦